文京区地域情報
【千石駅】名園「六義園」近く♪ 由緒ある緑地に日頃の喧騒を忘れ、ゆったり心なごむ街
1972(昭和47)年6月30日開業。文京区千石1丁目にある都営三田線の駅です。開業当初、都営三田線は都営6号線という名称でした。1978(昭和53)年7月1日に、都営6号線は三田線に改称されました。
駅名にある「千石」という名前は、以前からあった歴史的な地名ではなく、1967年の住居表示実施に伴って誕生した地名です。小石川植物園のそばを流れる千川の「千」と、中仙道の「せん」の読み、小石川の「石」から、「千石」という地名が生まれました。かつての、小石川北部の西丸町、大原町、林町、氷川下町、丸山町、(巣鴨)西原町、(巣鴨)西丸町などが、現在の「千石」にあたります。
都営地下鉄は全駅バリアフリー1ルート(ワンルート)が達成されていて、この千石駅にもホームから改札階(千石駅前交差点方面改札コンコース)、および改札階から地上出口(A5出口)との間を、それぞれ連絡するエレベーターが設置されています。車いすやベビーカーを利用する方をはじめ、駅を利用するどの人にも優しく使いやすい環境の整備が推進されるのは、とても嬉しいですね。
周辺スポット
江戸城に近い場所だけに、江戸時代、この千石エリアには有力大名や武家の屋敷が集まっていました。現在でも、街の様々なところに、その名残を見ることができます。
千石駅周辺にある「千石緑地」は、江戸・徳川御三卿のひとつ一橋徳川家より寄付された地で、史跡として大切にされています。もともとは、一橋徳川家屋敷内にあった樹林地ですが、出来るだけ樹林を末永く残すように配慮することを条件に、1989(平成元)年、文京区に寄付されました。武蔵野台地の先端部分である白山台地と指ヶ谷の低地との境界あたり、緩やかな傾斜地に、小さな森のような緑地が広がっています。緑地内には、樹齢100年以上と推定される、文京区内でも有数のムクノキの巨木が立っています。
都内屈指の名園として知られる「六義園」も千石駅からの徒歩圏内にあります。この六義園は、江戸時代に五代将軍・徳川綱吉から下屋敷を拝領した側用人の柳沢義保が、自ら設計した日本庭園です。明治以降は三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎氏が所有していましたが、昭和になってから東京都に寄付され、現在に至ります。歴史の面持ちを感じる風情ある大名庭園は、春夏秋冬を通して訪れる人々に憩いの場をもたらしています。桜や紅葉の名所としても有名で、風情のある眺めを求めてシーズンには多くの人が訪れます。
また、享保年間に創業し、代々千石で米屋を営んできた「伊勢五」があります。現在お店を経営しておられるのは八代目だそうで、店名の「伊勢五」は初代の今井(伊勢屋)五郎右衛門氏の名前からとったものだとか。歴史を感じる店舗と蔵は、国の登録有形文化財に指定されています。
生活環境
交通アクセスの利便性が抜群です。都営三田線の千石駅だけでなく、少し足を伸ばせば山手線や東京メトロ南北線・丸ノ内線も利用可能。また、バスを利用すれば池袋方面にも浅草方面にも一本で行くことができます。JR巣鴨駅から歩ける距離なので山手線の終電が使えるのも便利です。
コンビニやスーパーも近くにあって便利です。また、アクセスの良さを活かして周辺駅にあるホームセンターを利用している人もいます。文教地区だけに、学校や図書館が充実しているのも特長です。周辺に多数ある名門幼稚園や小学校を受験できる居住範囲でもあり、教育熱心なご家庭が多いことでも知られています。
千石駅周辺は、白山通りと不忍通りの交わる辺りに位置しているため、昼夜を問わず車両・人とも交通量は多めです。通り沿いには飲食店・雑貨店等も多くあり賑やかですが、通りを1本隔てた裏通りには住宅街が広がっていて静かな環境です。住宅街は、道幅が狭く細い道が入り組んでいるところもありますが、治安がとてもよく、ゆったりとした雰囲気の街です。
スタッフコメント
南北に延びる「白山通り」と東西に延びる「不忍通り」の交差点が千石です。名園として名高い「六義園」も近く、住環境と緑の交わった文京区を代表する景観が広がった地域です。
江戸時代から続く、山の手の住宅地。都心であるにもかかわらず、江戸ゆかりの庭園、緑あふれる憩いの場も多く、日常の喧騒からしばし離れてゆったりとした贅沢な時間を堪能することができます。
病院や学校も多く、治安も良くて安心。さらにはアクセスの利便性をも兼ね備えています。名前は「千石」でも、住む人にもたらされる価値は、「万石」、それどころか「百万石」にも上る、住み心地抜群のエリアです。